- Idein株式会社
- 代表取締役 / CEO
- 中村 晃一
投資家「Googleがそれをやらないのはなぜ?」市場ゼロから33億を調達したIdein社の裏側
スタートアップ企業の経営者にとって大きな関心事である「資金調達」。その現場では、投資家から様々な質問が寄せられるが、「貴社のサービスをGoogleが真似できない理由は何か」と聞かれたとしたら、何と答えるだろうか。
一般的に、企業の資金調達リリースでは調達額と出資元といった結果のみが公開されるため、その裏側は経験者しか知り得ないことが多い。
そこで今回は、2015年に創業し、サービスを提供するための市場すらほぼ存在しない段階から累計33億円の資金調達を実現したIdein(イデイン)株式会社に、リアルな資金調達の裏側について語っていただいた。
同社は、「エッジAIプラットフォーム」という領域で、画像や音声などの解析技術を用いて、実世界にある様々なデータを自動で収集・分析するプラットフォーム「Actcast」を開発。
2020年1月に正式ローンチするまで、事業をピボットすることなく、5年に渡りプロダクト開発を行ってきたそうだ。
現在では小売業や製造業を中心に、累計登録台数は15,000台を突破(※2022年7月現在)。国内No.1シェアのエッジAIプラットフォームへと急成長を遂げているという。
▼JR東日本駅構内の店舗にて、AIカメラを活用してオンライン接客を支援(同社提供)
同社の代表取締役 / CEOの中村 晃一さんは「私たちのビジョンに共感して、リスクマネーを投資してくださった投資家の方々が存在しなければ、このプロダクトを世に出すことは出来なかった」と語る。
今回は中村さんと、取締役 最高財務責任者 / CFOの小林 大悟さんに、会社の知名度も、プロダクトも、市場さえない中で累計33億円もの資金調達を実施できた背景と、その裏側にあった投資家とのリアルなやり取りについて、詳しいお話を伺った。
デバイスやプラットフォームなど幅広い開発で、ローンチに5年を要した
中村 私は、東大大学院でコンピューターサイエンスを専攻していた時に、画像解析のパターン認識技術について深く学ぶ機会がありました。
その際に、ソフトウェアを活用することで、これまでは叶わなかった実世界の様々なデータを取得できるのではないかと大きなポテンシャルを感じて、2015年4月にIdeinを創業しました。
▼【左】中村さん【右】小林さん
私たちは近い将来、インターネットの世界だけでなく、物理的な世界の物事もソフトウェアを中心に再構築され、より便利な世の中になると考えています。
そのために必要となる、情報を計測して数値化する「センシングのためのプラットフォーム」を作りたいということが、創業時から変わらずに持っている思いです。
この「物理的な世界の物事をソフトウェアで扱う」とはどういうことかと言うと、例えばリテール分野であれば、店舗に設置したAIカメラで来店数と混雑状況を把握したり、顧客属性や動線を分析したりします。
また、AIマイクで顧客とスタッフの会話をテキスト化して、従業員の教育改善やカスタマーハラスメントの防止に生かしたりするといったイメージです。
このように従来は取得が難しかったデータを活用できるようになれば、様々な業界でより良いサービスを提供できるようになりますし、生産性向上も図ることが出来ます。
しかし、小売や製造現場など、実社会であらゆるデータを容易に扱えるようにするには、大きく3つの壁を乗り越えなければなりませんでした。それは、「コスト」「運用」「プライバシー」の壁です。
例えば、高度なAIモデルを動かすためのコンピュータは、一般に使用されるもので1台あたり数十万円かかりますし、大量のデバイスの監視や定期メンテナンスの仕組みも必要でした。
また、画像や音声の生データをクラウドに集約するとプライバシーの問題もありますし、何よりデータの通信と処理に莫大なコストがかかってしまいます。
そこで弊社では、1台数千円程度の安価で小型なエッジデバイス「Raspberry Pi(通称ラズパイ)」を選び、ソフトウェア技術によってエッジ側の処理能力を引き上げて、個人情報などを除いた必要なデータのみを送信するという手法を取りました。
顧客は1日30円から、ニーズに合った機能のアプリを利用できるといったサービス形態です。
加えて、遠隔でのデバイス監視機能や、顧客が自由にAI/IoTシステムを開発・売買できるプラットフォームまで、本当に幅広い開発を行う必要がありました。
▼Idein社のエッジAIプラットフォーム「Actcast」の全体像
このようにして、3つの壁をクリアしたエッジAIプラットフォーム「Actcast」を開発しましたが、そのローンチにはα版で4年、正式版で丸5年という長い年月がかかりました。
33億円のリスクマネー投資を得たことで、ピボットせずに邁進できた
中村 創業当時、弊社の取り組むエッジAIプラットフォームの市場はほぼ存在しておらず、今ようやく立ち上がりつつあるという状況です。
当然ながら、会社の知名度もなければ、プロダクトもないという状態でしたが、私たちの描く「ソフトウェア化された世界を創る」というビジョンを実現するには、時間だけでなく膨大な開発資金も必要でした。
なので、プロダクトが形になるまでの5年間はエンジニアとバックオフィスだけの組織で、その中でも資金が乏しい期間は受託開発で最低限の売上を立てながら、空いた時間でプロダクト開発をするという形で運営していました。
創業初期は人数が少なかったので、いわゆるマネジメントという概念があまりなくて。「みんなバラバラだけど、お互いのことをよく理解している」という感じの少数精鋭のチームでしたね。
それが次第にチームの規模が大きくなるにつれて、やはりきちんとマネジメントが機能していないと物事が動かなくなり、開発の生産性がガクンと落ちてしまったりもしました。
そういった組織としての課題に直面しながらも、創業から事業をピボットせずにここまで邁進できたのは、何よりビジョンやプロダクトを信じ続けてくれたメンバーのおかげです。
同時に、我々のビジョンに共感して、多大なリスクマネーを投資していただき、時間をかけて見守ってくださった投資家の方々の存在が非常に大きかったですね。
具体的には、創業5年で、累計約33億円という投資をしていただくことができました。
▼同社の沿革(マーカー部分にて資金調達を実施)
彼らに出資していただけなければ、もっと早く資金がショートしてしまって、プロダクト開発を続けることもできず、さらに多くの受託開発をこなす日々になっていただろうなと思います。
技術デモ動画を世界へ配信。大手メーカーとの資本業務提携が転機に
中村 我々はほぼ市場が存在しない状態からスタートしたため、ここまでの資金調達の道のりは、事業フェーズごとに様々な苦労がありました。
まず、最初の調達フェーズでは、「ビジョンと人」に投資していただくしかないんですね。この会社が何をやりたいのかと、「今いる創業メンバーがそれを成し遂げるはずだ」と投資家が信じられるかどうかが重要です。
とは言え、知名度も実績もない段階で、人を信じてもらうというのは正直難しいですよね。私の場合は、幸いにも起業前から知り合いだった方がエンジェル投資家になってくれたので、きっと「この人だったらやってくれるだろう」と信じていただけたのだと思いますが、ここでつまずく企業も多いのではと思います。
また、初期の頃は、直接ベンチャーキャピタル(以下、VC)などにコンタクトするという手法はあまり取らず、様々な場で具体的な技術力を示す情報を発信するということに取り組んでいました。
例えば、多くのスタートアップ企業と同様に、VCが集まる金融系イベントや技術展示会などに参画したり、プロダクトが出来上がっていない段階から、技術的なデモ動画をYouTubeなどに挙げたりして発信していました。
このデモ動画は、世界で見てもIdein独自の高い技術を示すものなので、特に海外の方からも多く反響をいただきましたし、それを見て投資家の方々から声をかけていただくことも多かったですね。
▼YouTubeに挙げた「ラズパイ上で情報を高速処理するデモ動画(2017年)」
とは言え、当時は言葉で自社の技術力の高さを伝えるのに大変苦労しました。
多くの技術系のスタートアップ企業も悩まれると思いますが、投資家は技術の専門家ではない場合が多いので、私たちが専門的な言葉でどのように技術が優れているのかを説明しても、それを理解していただくのは本当に難しいんです。
自分たちで謳う分にはいくらでも嘘をつけてしまうので、まだプロダクトが無かった私たちはデモ動画などでそれを示そうとしていたわけですが、多くの場合は投資家から顧客へのヒアリングをお願いする形になると思います。
例えば顧客から「Ideinさんは確かにすごい技術を持っていますよ、あれは他社にはないですね」と言っていただければ、我々から説明するよりも納得していただきやすくなるというイメージですね。
このように色々と試行錯誤しながらも、創業2年後の2017年7月にVC2社から総額1.8億円の出資をしていただくことができ、2018年にはグローバルで展開する大手自動車部品メーカーのアイシン精機さんと、資本業務提携を結ぶことができました。
これを機に収益が安定したので、受託開発を減らして、プロダクトの開発に取り組めるようになりました。また、アイシン精機さんとの業務提携によって自動車領域に事業を展開するきっかけにもなったので、間違いなく弊社にとって大きな転機となりましたね。
時には投資家から説教されることも。ビジョンを貫き、迎合はしない
小林 私は、大和証券やPwCアドバイザリーで、IPO企業のコンサルティングや公開引受、投資銀行業務などを経験した後、SMBC日興証券で営業としてIdeinを担当したご縁から、2018年5月に参画しました。
現在はCFOとして、主に管理部門の統括やKPI管理、経営・財務戦略の立案から実行までを担っています。
私が入社した時は、アイシン精機さんとの資金業務提携を終えたばかりだったので、まずは事業計画作りと実行などといった会社の体制を整えることに注力しながら、2019年、2020年のさらなる資金調達へと繋げていきました。
この頃は、プロダクトのα版・β版をローンチしたタイミングだったので、プロダクトが何であるかは伝えやすくなっていましたが、投資家の方々からはより具体的な質問をいただくようになりました。
例えば、「競合と比較して何が違うんですか」とか、「大手が参入したら今の優位性は無くなりませんか」といった問いかけが多かったですね。
中でもよくご質問いただいたのは、「どの領域を攻めていきたいんですか」ということです。例えば、freeeさんであれば会計領域、SmartHRさんであれば人事領域ですが、AI/IoTのプラットフォームとなると結構幅が広いので。
やはり、投資家としては売上が見込める領域に狭めた事業展開を好まれる傾向があるのですが、それでは弊社がどの業態でも適応できるプラットフォームを開発している意味がなくなってしまいますよね。
なので、それに対しては「リテールから製造業のように展開していく順序はありますが、我々はどこかの領域にクローズしてプロダクトを作ることはしません」と明確にお答えしています。
中村 それも「良いものを世の中に提供したい」という思いからですが、私たちがこういうスタンスを貫いているので、投資家の皆さんからは結構説教されるんですよ(笑)。
小林 ほんとに(笑)。それでも、我々のビジョンはずっと変わらないので。納得していただけないこともありましたが、こちらが迎合してプロダクトの方針を変えることはありませんでしたし、そこで投資していただけない場合は「残念ですが、致し方ないですね」と割り切るような感じでしたね。
「Googleなら真似できるのではないか」にどう答える? Ideinの解とは
中村 資金調達を担当された方は経験があると思うのですが、「どうしてこの技術はIdeinさんでは実現できて、Googleでは真似できないんですか?」といった問いかけも多いですよね。どの企業もそこを説明するのに非常に苦労されているように思います。
その質問に対してどう答えたかですが、前提として我々のプロダクトの場合は非常にニッチで、「Raspberry PiのGPU」というプロセッサ向けのコンパイラ技術が一番のコアになっています。
なので、「まず、世界中で私たちと同じことを実現できる人物をおおよそ把握しています。その上で、その人たちは別々の企業に散らばって異なる事業に従事していて、当面は弊社と同じ技術には取り組まないことが分かっています」といったようにお答えしていました。
オープンソースの世界は、結構横で繋がっているので。例えば、我々が作ったものと同じコンパイラ技術を、Googleの○○さんであれば作れるだろういうことは分かるんです。でも、今彼はスマホの開発をしているので、当面は同じ分野でかぶることはないといった感じです。
これはよくある話ですが、儲かっている企業は高い売上が見込める事業にエース人材を投入するので、新しい市場を立ち上げるという最初のうちは、なかなか一番手の方というのは出てこないんです。
Ideinは私自身が大学でコンパイラの研究をしていたということもあり、世界で見てもトップ層のコンパイラ技術に長けたメンバーが集まってくれているので、それが実現できるんですよといったお話をすると、納得していただけることも多かったです。
もちろん、これはあくまで初期の技術優位性の話で、市場が立ち上がって来たタイミングでは大手が同じ技術に取り組んでくる可能性があります。なので、技術優位性を維持できるのは数年であるという前提を置く必要があります。
そして、私たちは先行者優位性の強く効くプラットフォーム型プロダクトとして設計し、数年のうちに技術優位性をエコシステムの優位性に転換するという戦略を取っています。そうした戦略の部分も評価いただいたと考えています。
小林 そのように地道にビジョンや技術力の高さを伝える一方で、技術的な賞を受賞したり、Arm社のAIパートナー企業に認定いただきArm AI Partner Programに参加するなど、信頼度の向上に繋がるような活動も実を結び、2019年に8.3億円、2020年に20億円と、創業から累計約33億円の資金調達を実施することができました。
実は、2020年の資金調達の際はスムーズにはいかず、周囲に紹介をお願いしたり、SNSで直接コンタクトを取る形で、海外・国内の事業会社やVCにとにかく声をかけてまわりました。
しばらくは国内の資金調達市場がバブルのように盛り上がっていましたが、やはり海外のトレンドに追随するように、国内の市場も厳しくなってきたと実感しましたね。
しかし、この頃にはビジネス側の経験も厚いCOOの仁藤がジョインしてくれて、より説得力のある事業計画を描けるようになったおかげで、各社が出資の意思決定をしやすい環境を作ることができました。
それによって、既存株主に加えて、KDDIさんや双日さんなど名だたる事業会社、CVCの方々に興味を持っていただくことができたので、当初の目標10億円に対して、最終的には20億円の調達に繋げることができたのだと思っています。
今後、直近では資金調達に動く計画はないのですが、調達市場の状況がこのまま悪化の一途を辿ったらどうしようかという悩みはありますね。
なので、今に限った話ではないですが、銀行の融資や事業会社との資本業務提携といった形も、継続的に検討しておく必要はあるのかなと思っています。
今後は世界のデファクトスタンダードを目指す1→100のフェーズへ
中村 Actcastを正式ローンチした2020年1月からは、事業開発部、マーケティング、セールス、デジタルのチームも立ち上がり、現在は62名の組織となっています。
事業規模としても、Actcastの累計登録台数は1年前には数百台だったところから、現在は15,000台を突破して、国内No.1シェアのエッジAIプラットフォームへと成長しています。(※2022年7月現在)
いわゆるAIブームの初期は、AIのアルゴリズムを開発する研究的なプレーヤーが多かったので、いずれ社会実装が進む段階ではAI以外の部分の技術課題が顕在化すると考えて、この開発を始めました。
それが今となって、実ビジネスのインフラとして多くの顧客にご活用いただけているのは、当初の仮説が当たっていたのだろうと考えています。
ただ、今プラットフォーム上にあるAI/IoTアプリは私たちが開発したものが並んでいて、将来的にはこのプラットフォーム上で、顧客であるパートナー企業に自由にアプリを開発・売買していただけるようにしたいと考えているんです。
ある程度我々の手を離れたところで、自主的にどんどんプラットフォームが育っていくような世界観を描いているので、まだまだ越えなくてはいけない壁がありますね。
▼Idein社が描く5ヵ年の事業戦略
いわゆる0→1(ゼロイチ)は死に物狂いで何とか出来たところかなと思っています。
それを1→100にするフェーズでは、これまでのビジネスプロセスを仕組み化して、チームで再現性高く動けるようにしなければなりませんし、CEOとして自分のメッセージで会社を動かしていくことにチャレンジしていきたいと思っています。
小林 幸いにも今は資金的に安定しているので、私自身は予算達成に向けたKPIの設定と管理などを行う形で、事業サイドに足を踏み入れてメンバーをサポートしていくことが目下のやるべきことだと思っています。
その先にまた調達の話も出てくると思うので、その時は大きな形で目標を成し遂げられたら良いなと思っています。(了)
photo / 撮影:西畑孝則