- 大阪ガス株式会社
- イノベーション推進部 ビジネスインキュベーション第1チーム
- 富田 翔
大阪ガスが仕掛ける新規事業創造プログラムから誕生!本との出会い創出アプリ「taknal」の軌跡
変化のスピードが非常に速いこの時代には、大手企業であっても既存事業の枠に留まらない事業開発を行い、常に新しい市場を開拓していくことが求められる。
大阪ガス株式会社では、2017年より新規事業創造プログラム「TORCH(トーチ)」をスタート。
「115年の灯火(ともしび)を受け取り、次の100年の灯(ひ)をともす」を合言葉に掲げる同プログラムには、若手社員を中心に毎年20名ほどが参加。事業アイデアを練り上げた上でコンテストに挑み、勝ち抜いたものは事業化へと進むのだという。
同プログラムを通じて世に出たサービスのひとつが、物理的に「すれ違った」人同士がオススメする本を交換できるアプリ「taknal(タクナル)」だ。
taknalは2020年のリリース後、Twitterを中心に話題となり、これまでに15万人以上のユーザーを獲得。オススメされた本の冊数は、のべ13万冊を超えているのだという。
今回は、TORCHの運営に関わる大阪ガス株式会社 イノベーション推進部の富田 翔さんと、taknal発案メンバーの一人である大阪ガスマーケティング株式会社 商品技術開発部の青木 拓也さんに、taknalのこれまでの軌跡について、詳しいお話を伺った。
※編集部注:インタビュイー様の所属、役職は取材時(2022年6月)の情報です。その他、記事内の情報も、取材時のものになりますのでご了承くださいませ。
新規事業創造プログラム「TORCH」を通じて生まれた「taknal」
富田 私は2014年に入社後、まずはエンジニアリング部に所属し、ガス製造工場の設備を作ったり、金属材料を開発したりといった仕事に4年ほど関わりました。
その後、現在所属しているイノベーション推進部の初期メンバーとなり、これまで4年ほど新規事業の開発に携わらせてもらっています。
イノベーション推進部は、新しい事業を作っていくために立ち上がったコーポレートの専門組織です。その中でも私は特に、新規事業創造プログラムTORCHの企画や、そこから出てきた事業の事業化を担当しています。
▼大阪ガス株式会社 イノベーション推進部 富田 翔さん
青木 私も入社は2014年で、それ以来ずっと家庭用の商品開発を行う部署に所属しています。最初はガス機器のIoT化から始まり、その後もアプリやサーバーといったいわゆるIT系の業務に関わってきました。
最近では、電力サービスとITサービスを組み合わせてどんな価値提供ができるか、といった視点での新しいビジネスの開発も担っています。加えて、2018年にTORCHのプログラムに応募し、taknalにも並行して関わっている形です。
taknalは、私が商品技術開発部の同僚4人に声をかけて、一緒にチームを組んで始めたのがスタートです。特にリーダーはおらず、みんなでやっているという感覚ですが、特にリリースまでは富田さんと私が中心になって、アプリの機能を決めたり、ベンダーさんとのやりとりをしてきました。
▼taknalメンバーの皆さま(一番左が大阪ガスマーケティング株式会社 商品技術開発部 青木 拓也さん)
青木 実はtaknalのメンバーは、全員が30代男性なんですよ。その意味では全くバラエティに富んでいないのですが、だからこそ、最初からやりたいことがブレずにここまでやってこられた部分はあるのかなと思っています。
会社としての灯を次の世代に繋げ、選ばれる企業であり続ける
富田 もともと弊社では、青木がいる事業部も含めて、さまざまな部署で新規事業の開発が昔から行われてきました。
その中で、2018年に新規事業を作る専門部隊であるイノベーション推進部が立ち上がった背景には、ガスや電気といった既存事業の中で新サービスを作っているだけではもう難しい、ということがありました。世の中の動きが加速していく中で、会社としての危機感を表すひとつの意思表示ではあったと思います。
新規事業を作ると言っても、色々な方法がありますよね。イノベーション推進部でも、国内の企業と連携したり、オープンイノベーション的にベンチャーと動いたり、加えてシリコンバレーにもオフィスがあるので海外の方々とやり取りしたり…と、さまざまな手法をとっています。
やり方はどれでも良いので、結果的に事業ができれば良いという考え方です。その中のひとつの手法として、TORCHという新規事業創造プログラムがあります。
このTORCHという言葉には、二つの意味をもたせています。一つは、社員個人の心に灯っている思い、心の底から欲しいと思っているものを事業という形で世の中に届けること。もう一つは、弊社がガス会社として、これまでお客様に灯を届けてきたという歴史です。
社員個人の思いを次の世代に繋いでいくことで、会社としての灯も次の世代に繋いでいき、結果的に世の中から選ばれ続ける企業であり続けよう、という思いを込めています。
TORCHのプロセスとしてはまずコンテストがあり、それを通過したものが半年に一度のゲート(審査)をクリアしながら、事業化を目指していきます。既存事業の延長であるかどうかは重視しておらず、あくまでもそれぞれの事業として一本立ちすることを目指すプログラムです。
▼2018年に実施された、TORCHのコンテストの様子
富田 現状、対外的にリリースしている事業は、taknalと、ゆるく実践できるセルフケアが集まるアプリ「ラムネ」の二つです。加えて、実証段階に入っているものが二つ、その手前にあるものが四つあります。
審査ゲートをクリアできず落ちていく事業がある一方で、新しくコンテストを通過した事業がどんどん入ってきて、循環しているような形ですね。
始まりは日常の課題感。「本との偶然の出会い」を提供するtaknal
青木 私は2017年にTORCHの1年目のコンテントに出たのですが、その時は富田さんのラムネがグランプリを受賞して、私のアイデアは惨敗したんです(笑)。その次の年にリベンジという形で受賞したのが、taknalになります。
今になって思うと、当時はほぼノリだけで突っ込んでいったのですが、結果的にこのサービスを事業として世の中に届けられていることは、とても嬉しく思っています。
taknalは、「本との偶然の出会い」を提供するアプリです。taknalをスマートフォンにインストールしていただいているユーザーさん同士が物理的に擦れ違うことによって、お互いのオススメの本の情報が交換されます。
イメージで言うと、電車に乗っている時に、隣に座っている人が読んでいる本が気になって覗いてみる…といった感覚を、アプリを通じて実現することを目指しています。
▼「本との偶然の出会い」を提供するアプリ・taknal
富田 2020年12月の正式リリース後、現在のユーザー数は15万を超え、47都道府県すべてにユーザーさんがいらっしゃいます。さらに、アプリ内でオススメされた本の冊数は、13万冊を超えています。
青木 taknalが生まれた背景として、最初から「本」を起点にスタートしたわけではなくて。我々のような30代男性って、仕事にも慣れてきて、日に日に新しいものに触れる機会が減っている。そういった何となく感じている日常の課題からスタートしています。
もう少し、日々のスパイス的に新しい出会いや発見があると良いよね、と。そのためにどんな手段があれば嬉しいんだっけ、という視点から、色々とアイデアを出し合っていきました。
例えば、自己研鑽のためのセミナーを探せたり、近くの会社の人とランチができたり…ああでもないこうでもないと議論をする中で、最後に行き着いたのが本だったんですね。
ユーザーテストを通じて、リリースへの手応えを感じられた
青木 コンテストを通過したあと、リリースまでは大きく三つほどのフェーズがありました。まずはコンテストに出したアイデアを、メンバーで集まってワークショップ的に詰めていくフェーズ。次に機能をちゃんと固めていくフェーズ、そして最後がそれに沿って開発をするフェーズです。
富田 私が本格的にtaknalに関わり始めたのはコンテスト以降ですね。コンテストを通過した案件は事業化に挑む権利をもらえるのですが、それを事務局として支援するのが私の役割になります。
コンテストを通過したと言っても、メンバーの皆さんが既存事業への関わりをゼロにして、新規事業に100%振ることはできないので。皆さんの既存業務に支障が出ないように事業開発を進めるにはどうすれば良いかを、私の方では考えて動いています。
特にtaknalの場合、当時はTORCHの事務局が私しかいなかったんです。そこで、ワークショップで作るものを決め、プロトタイプを作ってユーザーテストをして…というサイクルを青木さんと一緒に回したり、開発ベンダーさんとのコミュニケーションを行うなど、多くの部分で関わってきました。
青木 「事務局」というと成果を管理してさばく「会社側の組織」のようなイメージですが、富田さんの場合は、発案メンバーと同じ側に立って、事業としてユーザーに価値を届けていくことを第一に、一緒に考えてくれています。だからこそ、ここまでうまく進めてこられたと思います。
富田 TORCHの場合、新規事業開発の経験がほぼゼロの人がチャレンジすることも多いんですね。私も偉そうなことを言える立場ではありませんが、少なくとも経験はあるので、「こうやったほうがいいんじゃないか」ということを事業ごとに支援させてもらっています。
taknalの場合は、検証を進める中で、最終的に「行けるかな」という手応えを感じたのはリリース前に行ったユーザーテストでした。
のべ数十人の方にご参加いただいたのですが、最初は「全然無理です」「使いません」という声ももちろんあって。でもその後、改善とテストを何回か繰り返していく中で、ある段階で手応えを感じられたんですよね。
青木 私も同じですね。と言いますか、「もうリリースしてみないと、これ以上はわからへんな」と思ったという感覚に近いかもしれません。
taknalは、人との偶然のすれ違いが体験のベースになっているので、それをテストで再現することはかなり難しいんです。紙芝居を使ってみたり、色々とやってみましたが、それでは本当の価値が伝わらない。
富田 実際にユーザーテストを行った際には、「このルートを歩いたら、この本とここで擦れ違う」という仮想のすれ違いルートを作りました。誰がそこを歩いても同じ本に出会うのですが、そこを歩いてもらって、フィードバックをもらい、ブラッシュアップをしていく…という形でしたね。
青木 実際に偶然の出会いを再現することは難しかったですが、その中でもコンセプトが面白いと言ってくださる人が一定数以上いたので。リリース判断としては、ここでGoだろうと思うことができましたね。
自分たち、ユーザー、パートナー。三者でWin-Win-Winを作っていく
富田 taknalの開発において大切にしているのは、我々と、ユーザーさん、それから書籍業界を中心としたサービスに協力してくださるパートナーさん、三者でWin-Win-Winを作ることです。
サービスを開発し始めた当初は、自分たちのことだけだったんですよね。まずは「自分たちが欲しいもの」にすごくこだわっていて。それを100%突き詰めた後は、それを少しずつ減らしつつ、届けたい価値がきちんと届くようにユーザーさんと擦り合わせていきました。
そこから更に、その価値を継続的にお届けするとなると、社会や世の中、パートナーといった第三の存在の方々をうまく巻き込むことが必要です。業界全体が盛り上がることによって、最も価値が最大化すると私は考えているので。
ですので、パートナーさんにとってもWinであるか、ということは常に意識しています。当然、競合も存在するのですが、戦うのではなくお互いに切磋琢磨して、協力して業界全体を盛り上げていくことが大事だと思っています。
加えて、今は「本」×「すれ違い」というテーマで事業を作っていますが、これは横の業界にスライドして展開できると思っていて。「人と人とがすれ違うことで、何かが交換される」ということ自体が新しい体験なので、書籍業界に限らず実現していきたいんですね。
例えば、すれ違いの形が変わるかもしれませんし、本ではないものが交換されるかもしれません。何年かかるかわかりませんが、このように業界をまたいで展開できるサービスになればいいなと思っています。
また、TORCH全体という視点でいくと、taknalやラムネといった既に世の中に出ている事業から得られたノウハウや人、情報といったさまざまなものをうまく社内に循環させて、新しい事業を生み出す根幹となるプログラムに成長させていきたいなと。
そしてもちろん、TORCHを通じて、世の中にしっかりと価値を届けられるようなアイデアが多く出てほしいなと思いますね。
青木 私はtaknalというサービスを、もっと色々な方向性に広げていけたらいいなと思っていて。今はアプリという形ですが、もともとやりたかったのは、「ちょっとした新しい発見があることで、日常を楽しくする」ことなんですよね。
今はその実現の第一歩を踏み出せたかなというところなので、ここから更に広げていって、イベントのようなリアルな場であったり、違う手段を使って価値を届けられるようにしていきたいですね。
「アプリを運営する」という目線でいると、どんどん視野が狭くなっていく気もしているので。広く価値を届けるために、手段としてアプリ以外のものがあれば、どんどんそちらにも広げていきたいと思っています。(了)