
- 日本アイ・ビー・エム株式会社
- Future Design Lab チーフ・プロデューサー
- 岸本 拓磨
人や組織が「変わること」に失敗する理由は?「未来を描く」IBM Future Design Labに学ぶ実践知

「変わらなければならない」。多くの企業がそう感じながらも、なぜ組織の変革はうまく進まないのか
DXやイノベーション、リスキリングといった言葉が飛び交う一方で、現場では「何をどう変えるのか」が曖昧なまま混乱が広がっているケースも少なくない。その背景には、変化の方向性が見えず、組織の誰もが納得できるビジョンが共有されていないという根本的な課題がある。
そうした問題に対し、「未来を映像などで可視化すること」で変革を支援しているのが、IBMの社内組織である「Future Design Lab」だ。ここでは、企業が目指す未来図をストーリーとして映像や仮想空間、立体装置などの形で可視化し、組織の理解と共感を促進する。その過程で、現状とのギャップを浮き彫りにし、具体的なアクションへと落とし込んでいく。
この「ビジョンの可視(プロトタイプ)化」という、従来のITコンサルティングとは一風異なるアプローチを始めたのが、チーフ・プロデューサーを務める岸本 拓磨さんだ。岸本さんは、かつてABC朝日放送で約20年にわたってさまざまなテレビ番組やCM、ARやVRを活用したプロモーションなどを手がけてきた「元テレビマン」。
2016年にIBMへ転職し、未知の業界に飛び込んだ当初は戸惑いも多かったそうだが、「腰は低く、志は高く」の姿勢でコツコツと積み重ね、自らの居場所をつくっていったという。そして現在では、ビジョンを可視化し、課題解決を支援するコンサルタントとして、さまざまな企業の変革を支援している。
今回はそんな岸本さんに、人や企業が「変わる」ためには何をどう描き、どう行動すればいいのか、ご自身の経験を踏まえてお話いただいた。
テレビ局員からIBMコンサルタントへ。当初は右も左もわからず…
前職は約20年間、ABC朝日放送でテレビ局員として働いていました。最初の10年はCMや番組、イベントを重ね合わせたセールスプロモーションが軸でしたが、その企画のほとんどが、テレビの枠を超えたいわゆる「クロスメディア」のもので、とても面白かったですね。
CMにたくさん出稿いただいたお客様のためにリアルイベントに出展したり、デジタルサイネージの枠を買って交通広告をデザインしたり。ガラケーやスマホ、Webサイトを掛け合わせたデジタルコンテンツも作りました。
その後、編成部門に移り、さまざまな番組の宣伝を担当しましたが、「普通に宣伝する」ということがあまり好きではなくて(笑)。常にテクノロジーを掛け合わせることを意識していました。
例えば、10年目のM-1グランプリでは、渋谷のスクランブル交差点のQFRONT(商業ビル)の一階に、優勝トロフィーをホログラムで立体的に「浮かせる」演出をしました。
実際に手を伸ばして触ろうとすると、センサーが反応して爆発音が鳴り、告知が流れる。「手が届きそうで届かない不思議なM-1トロフィーが渋谷に出現」というこの仕掛けは当時すごく話題になって行列もでき、上階のTSUTAYAでM-1のDVDのレンタル数が何倍にも跳ね上がった、なんてこともありました。Yahoo!ニュースにもなって、話題喚起の最大化に繋がりました。
ほかにも、プリキュアのLINE連動企画や、ニコニコ動画のように画面に視聴者のコメントが流れる番組など、新しい技術と放送をかけ合わせて、テレビをもっと面白く見てもらうための体験を作ることが好きでしたね。
ただ、2015年にTVerが登場し、見逃し配信の時代に突入しつつありました。そんななか2016年に、IBMでコンテンツ制作ができる人を探しているとお誘いいただき、自分が取り組んできたことと重なると思い転職をしました。IBMが手掛けているAIやブロックチェーンといった次世代テクノロジーに興味がありましたし、テレビ業界の外からテクノロジーで支援をしたいと思ったんです。
しかし、いざIBMにきてみたら、映像を作る仕事があるわけでもなく。「コンサルタントとして、このくらいの数字を稼げるでしょう」と個人予算が課せられて。給与も年俸制で、これまでの終身雇用とまったく異なり、「お金を稼げなかったらもう居場所はありません」という世界でした。
正直、これは困ったなと(笑)。でも、郷に入っては郷に従えでコツコツやるしかない。そこでまずは、IBMのムック本に掲載されていたクラウドやAIの専門家に、片っ端から「すみません、教えてください」と社内メールを送って会ってもらったんです。
「テレビ業界から来た者なんですけど、ハイブリッドクラウドって、そもそも何ですか?」「Watsonのすごさって、何があるんですか?」と、ひたすら聞きまくる日々。
そこから徐々に、得た知識を翻訳して、「なるほど、IBMにはこういう強みがあるんだな」「その価値をどう伝えれば人に届くんだろう?」と考えるようになった。それで始めた仕事のひとつが、「未来を可視化する」ことでした。
現状と目指す未来のギャップを可視化する「ビジョンムービー」の誕生
例えば「DX」という言葉があります。よく日本の企業では「DXをやるぞ」と5人くらいの役員が集められますが、その5人に「DXの定義」や目指す絵姿を聞いてみると、全員少しずつ違うことを言う。そんな状態でDXを進めていこうとすると、組織は大混乱。バラバラの動きになってしまいます。
こういったことが日本中で起きていて、イノベーションを阻害しているのではないかと考えました。そこで、関わる人たちが腹落ちできるように、叶えたい未来を映像で可視化しようと。これが現状と目指す未来のギャップを可視化する「ビジョンムービー」です。
映像の良さは、それを描くためにストーリーが必要になること。ストーリーを考えることで、現在と未来のギャップが明らかになり、イノベーションを起こすために足りないものが見えてきます。デザインシンキングにおける、アクティングアウト(※実際の利用状況をイメージするために寸劇を行うこと)のようなものです。
私がIBMで最初に制作して非常にうまくいった事例が、某メガバンクさんのビジョンムービーです。とあるリテールのチームから、店舗の機械化プロジェクトの一環としてお声がけいただきました。
「近い未来には、銀行のATMも店舗もいらなくなる。その未来がどのようなものか一緒に描きたい」というお話でした。そこで私がチームに入って、10年後、20年後の未来の銀行を描いたビジョンムービーを作りました。
「店舗は無くなるかもしれないが、人の価値は変わらない」──そういったメッセージを込めたムービーでしたが、なんとそれが当時の会長の目に留まって、株主総会で上映されることに。いきなり武道館デビューですよ(笑)。
結果的に非常に多くの方の目に触れ、大きな話題になりました。そして、当初は映像制作だけの予算でしたが、ビジョンムービーで描いた未来を実際につくっていく部分も、IBMとして一緒に取り組むことにつながりました。
こうなるとIBMとしても、「この取り組みを継続的にやっていこう」という流れになるわけで、無事にIBM社内で岸本の居場所ができたんですね。
また昨今では、「パーパス経営」という言葉がよく聞かれますが、企業の存在意義や、社会への貢献、いわゆる「志」を描いて欲しい、というオーダーもいただくようになりました。
例えばこちらは、IBMがお客様と開発した難病情報照会アプリを通して、「世界をより良く変えていく”カタリスト”になる(To be the catalyst that makes the world work better)」というパーパスについて描いたものです。
登場するのは実在する難病で、放置すると寝たきりになる可能性もある怖い病気です。こうした希少・難治性疾患は1万以上ありますが、疾患ごとの患者数や専門医が少ないため、多くの方が診断までに長く苦しんでいます。
映像で描いているのは、AIを活用した難病情報照会アプリケーションです。これを利用することで、患者や家族が簡便に正確な難病情報を無料で照会することができるようになりました。
このストーリーを、IBMのパーパスを体現するものとして、「これからも、IBMは、最先端テクノロジーと創造性をもって、お客様とともに、仲間とともに、社会とともに、あらゆる枠を超えて、よりよい未来づくりに取り組みます」というメッセージを込めて制作しました。ちなみに、最後のシーンには、私も一瞬エキストラで写り込んでいます(笑)。
IBM Future Design Labは、「説得力のある未来」を描ける組織
当初は私個人のチームでこうしたビジョンムービー制作に取り組んでいましたが、2021年に、新しい組織として「IBM Future Design Lab」が立ち上がりました。
私がIBMに入って取り組んできたことが、元々の組織のなかに収まらなかったということも背景にあります。それに加えて、組織としてもAIやクラウド、量子コンピューターといった次世代テクノロジーや要素技術は山ほどあるけれど、それらを繋いで「未来の絵」を可視化するプロセスが明確化されていないという課題が背景でした。
その役割は、「テクノロジーがもたらす新しい社会のあり方を、ともに考え・共創し、発信する」こと。具体的には、IBMの中にいる研究者、開発者、コンサルタント、デザイナーという4つの専門性を横断して、未来を可視化するための活動をしています。
強みは、研究所があり、最先端技術の裏付けがあることで、「10年後はどうなりますか?」と直接聞きにいって説得力のある未来を示せること。さらに半導体のようなモノづくりもしているので、現実的に裏打ちされた未来が描けること。
これがもしテレビマン時代だったら、きっと全然違う作り方になっていたと思います。やっぱり映像にはインパクトがほしいので、だいぶ話を「盛って」未来を表現したでしょうね(笑)。「銀行に来ているお客さん、もうみんな宙に浮かせちゃいましょう!!!」みたいな(笑)。
IBMはこれまでの長い歴史があり、未来予想にも説得力がある。だからこそ、より現実的な未来を描くことができます。
その上で、未来を描くコツは共創すること、一緒につくることだと思います。組織図の右下にも「Co-Creation」とありますが、例えばIBMだったら、開発やソリューションについての知見はどんどん共有するので、オープン・イノベーションで一緒に未来を考えましょう、という進め方をしています。実際に、スタートアップとの共創や産学連携の取り組みも多くあります。
どんな企業でも、自分たちだけで考えるのではなく、いろんな人を巻き込んだダイバーシティのあるチーミングをすることがとても大事だと思います。
リーダーは「腰は低く、志は高く」。新規事業が失敗する3つの理由
これまでさまざまな企業の変革をお手伝いしてきて感じるのは、日本企業が新しいこと、つまり新規事業に取り組むとき、失敗してしまう要因は大きく3つに分けられるということです。
まず1つ目は、既存の収益部門との不和です。新規事業チームって、どうしても「キラキラしてる」ように見えちゃう。既存の人たちからすると、「俺らが稼いでるのに、なんであいつらだけ自由にやってんの?」となるんですよね。
これを防ぐには、最初から収益部門の人を巻き込んで、チーミングの段階で橋渡し役をきちんと用意しておくことです。
2つ目は、経営層が「待てない」こと。例えば、X(旧Twitter)やFacebook、Amazonは創業してから 5年、10年と収益が出ていなかったけれど、待ったからこそ今の彼らがある。「3カ月で成果出せ」なんて言ったら、そりゃ潰れます。日本人は焦ってしまうのか、不安になってしまうのか、なかなか待てないんです。
最後に3つ目が、中の人の心が折れてしまうこと。既存の収益部門から後ろ指を指されないようにして、きちんと待ってあげたとしても、それでも中の人の心が折れたら、以上、終了。だから新規事業のリーダーが、鋼の心を持っていることが成功の条件なんですよ。
私はいつも「腰は低く、志は高く」と言っています。これは、本当に大事で。新しい領域に飛び込んだら、まずはその文化に従って頭を下げる。でも、心の中では「絶対にやり遂げる」という熱を持ち続けています。
それでも失敗したときには「死ぬわけじゃない。どうにかなる」と考える。人って、2年くらいで細胞が全部入れ替わるらしいです。つまり、2年経てば別人で、過去の失敗は別人がしたこと。そう考えたら、すごく前向きになれませんか?
私自身も、テレビ時代に大きな失敗をして謝罪広告を出したことがあります。でも、それを超えるプロジェクトに挑戦することで、自分を立て直してきました。失敗しても、前を向いて倒れれば、次の誰かにつながっていく。こうした姿勢が、とても大事ではないでしょうか。
たとえ地味でも「今ある仕事の中に面白さを見つける」のが企画の力
これから取り組みたいこととして、ひとつ考えているのが「書を残す」ことです。
テレビ時代には、自分が作ったものを空中に放り投げているようなイメージがありました。生み出してはパッと空に散っていく、番組が終われば何も残らない。それはそれでよかったのですが、ずっと残っていくようなものを作りたいという想いもあります。
現在、IBM Future Design Labとテレビ東京さんとで一緒にやっている「田村淳のTaMariBa」という番組があります。日本を担う起業家とスタートアップを繋ぐビジネスコミュニティをつくることを目指すものですが、その取り組みの中で手掛けたプロセスを書籍としてまとめようという話が出ていて。これは非常に嬉しい、楽しみな取り組みだなと思っています。
もうひとつ、これからも大切にしたいのが、人からのお願いにちゃんと応えて世の中に良い空気を届けることです。
有難いことに、よく「岸本さんは、いつも新しい面白いことを手掛けてますね」と言われるんですけど、実は自分発の企画ってほとんどないんです。むしろ誰かに「こういうことできない?」って聞かれたときに、一生懸命考えて「こうやったら面白くなるんじゃない?」と打ち返す。それをひたすら積み重ねて、コツコツとアウトプットしてきただけなんですね。本当に感謝しかない。
IBMに来たときも、まさにそうでした。ちょうどTVerが出てきて、テレビが見逃し配信の時代に入った頃に「これまでにやってきた経験を、AIやブロックチェーンと組み合わせたら面白いことができるかもしれないよね」と声をかけられて。それもテレビ業界への恩返しにつながるかもしれないと思い、今の道に進みました。
外から見ると、幸いなことに「アイデアがどんどん湧いてくる人」として見えているかもしれませんが、どちらかというと、今ある仕事の中に、ちょっとした面白さを見つけるのが得意なだけ。たとえ地味な仕事でも、どう光を当てるか、どう捉え直すか。そこに企画の力があると思います。
そうやって、日々の中にある可能性を掘り起こして、面白くしていく。それが僕がずっとやってきたことですし、これからも人との出会いを大切にしながら、丁寧に続けていけたらと思っています。(了)
ライター:尾木 佑果
企画・取材・編集:舟迫 鈴(SELECK編集部)
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