- 株式会社KINS
- 代表取締役
- 下川 穣
KINSが目指す、ディープテックの研究開発に投資し続けるためのビジネスモデルとは
科学的研究や革新的な技術に基づいて、社会課題の解決と経済成長の双方を目指すのがディープテック系のスタートアップだ。専門性の高いディープテック領域においては、研究開発がその成功の鍵を握っている。
そこで得た知見や技術をもとに、ビジネスモデルを構築し、持続可能な事業へと発展させていくわけだが、「研究開発」と「社会実装」を両立させるのは非常にハードルが高い。
近年、ディープテック系スタートアップに脚光が浴びている一方で、その壁をいかに乗り越えられるかが勝負の分かれ目だと言えるだろう。
こうしたなか、物販(D2C)、ラボ(研究開発)、クリニックの3つの事業で急成長を遂げているのが株式会社KINSだ。
人の身体に存在する約1,000兆個の常在菌(マイクロバイオーム)に着目し、「菌ケア」という独自のアプローチで多角的に事業を展開しているユニークなディープテックスタートアップである。
今回は株式会社KINS 代表取締役の下川 穣さんに、マイクロバイオームを軸にしたビジネスモデルの構築や利益と社会的意義を両立させるためのマネタイズ戦略について話を聞いた。
マイクロバイオームとの出会いが起業のきっかけに
私は歯科医としてキャリアをスタートしたのですが、転機になったのは30歳で東京都内にある医療法人の理事長に就任したときです。
そこには歯科以外の皮膚科や消化器内科、婦人科といった診療科があり、 普通の薬では治らない「慢性疾患の患者さん」が多く来られるクリニックでした。
▼株式会社KINS 代表取締役 下川 穣さん
ここで、大学の教授たちとマイクロバイオームの共同研究をする機会がありまして。「特定の乳酸菌を飲むと病気が改善するのか」という臨床試験をした際に、薬では治らなかった方々の症状が劇的によくなるのを目の当たりにし、それがきっかけで菌の可能性を強く感じたのです。そして、2018年に今の会社を創業しました。
KINSは、「菌」を軸に慢性症状や慢性疾患を解決するための全てをやっていくことを掲げ、主に予防領域と治療領域で事業を展開しています。予防領域では健康食品や化粧品のブランドを展開しており、ものづくりに関しても自分たちで独自原料を持つなど、非常にこだわっています。
治療領域ではクリニックや、動物病院を運営しています。菌の力が特に影響を及ぼすのは皮膚科と歯科、婦人科、消化器内科の4つで、人のクリニックに関しては皮膚科しかありませんが、動物病院はすでに歯科、皮膚科を展開していて、これから消化器内科も開院する予定です。
▼KINSのビジネスモデル(同社提供)
そもそも、私が歯科医からディープテックスタートアップの起業家になろうと思ったのは、理事長を務めていた時代に、経営と診療の両方を見る必要があったからです。
マイクロバイオームの将来性に気づき、自分の目の前ではイノベーションが起きている感覚はあった一方で、理事長としてメンバーのモチベーション管理をしたり、医療法人の経営を考えたりするなど、時間がない中で色々なことをやらなければなりませんでした。
そこで感じたのは、「医療法人は経営の専門家ではないので、経営の側面がどうしても弱くなる」ということです。普通の会社ではCEOを中心にCOOやCFOといったボードメンバーで組織を作っていきますが、当時の医療法人は自分が全てやらないと回らないような組織で。
そんな状況下でありながらも、マイクロバイオームという「自分のWILL」が見つかったこともあって、相反する感情と葛藤していた時期でしたね。
目の前の患者を助けることもすごく重要ですが、最も社会貢献できるのは何かと考えたときに、マイクロバイオームのポテンシャルを信じて、自分の人生をかけた方がいいのではと思い、最終的には起業する道を選んだのです。
勝ち筋が見えなかったからこそ、D2Cで収益の安定化を図った
そこからまずは、サプリメントと化粧品のD2Cブランド「KINS」を立ち上げ、Eコマースから事業をスタートしました。実は医療経営でもライフタイムバリュー(LTV)があるので、クリニックの理事長として働いているときから、 Webマーケティングによる集客を行っていました。
医療経営もEコマースも「定期的に患者さんが来る」か「サブスクリプションのモデルで継続的に購入いただくか」の違いだけで、構造的には何も変わらないと思ったのもあり、Eコマースを始めたんですね。
▼「菌ケア」による、根本的なアプローチを提供する「KINS」
ですがいざやってみたら、最初は全然うまくいきませんでした。Webの広告が全くヒットせずに、当初立てた事業計画のKPIも未達が続き、このままいけば会社が潰れるくらいの状態にまで追い込まれてしまったのです。
そこから、Webマーケティングや広告のやり方を一から勉強し直すことにしました。お客様のニーズと広告のやり方がはまる場所を探していたところ、ちょうどその頃は、インフルエンサーマーケティングが流行っていて。
これはD2Cと相性がいいのではと考え、インフルエンサーの方と知り合い、自分たちの商品の良さを直接伝えていくことをやり始めた時に、ようやく手応えを感じるようになりました。
2019年10月にインフルエンサーマーケティングを開始し、間違いなくPMFを達成したと思ったのが2020年4月を過ぎたあたりです。その後、研究開発にも着手していくためにラボを立ち上げ、次いで動物病院や皮膚科のクリニックを開院させ、事業を拡大していきました。
ディープテックスタートアップは研究開発から入って、ロングテールで事業を創っていくことが多いわけですが、KINSが最初から収益を出していくスタンスを取ったのは、「勝ち筋が見えていなかった」からなんです。
自分がすごく惚れ込んでいる原料などがあれば、研究開発から始めても良かったんですが、「これをやれば勝てる」という確信を持って起業したわけではありませんでした。
そのため、継続的にマイクロバイオームに関するデータが手に入る仕組みを作ることが重要だと思ったのです。なので、最初からD2Cをやりたかったというよりも、「健康なユーザーと繋がってコミュニケーションが取れる状態を作りたい」という思いから、D2Cを始めたんですね。
「異能をリスペクトする」社内文化の醸成で横串連携を強化
マイクロバイオームはここ20年くらいで注目を集めるようになった新しい分野です。2000年あたりに遺伝子を網羅的に解析することが可能になり、そこからさまざまなデータを入手できるようになったことで、「人間と菌の共生」についての研究が急速に進んでいきました。
これまでは、黄色ブドウ球菌のように悪さをする菌しかいないと考えられていたのが、実は善玉菌のように人間が健康に暮らす上で良い働きをしてくれる菌もいることが次第にわかってきたのです。
この辺りが転換点になって、病気と菌の関係性に関する論文がたくさん発表されるようになりました。そして最近では、菌を変えたら病気が治るのではという考え方から「マイクロバイオーム創薬」に関心が集まっています。
▼マイクロバイオーム
最初に出てきたのが、便由来のマイクロバイオーム創薬です。健康な方の便を体内に入れることによって、そのバランスを強制的に変えて病気を治すという考え方です。
ディフィシル感染症という難病に対して、健康な人の便を入れたら劇的な改善効果が現れ、世界中でマイクロバイオーム創薬の可能性を知るきっかけになりました。
今までは症状として出てきた結果に対し、痛みや炎症を抑えるための対症療法が基本でした。しかし、それでは根本的な解決には至らないわけです。その一方で、初めて病気の根本にアプローチできるのがマイクロバイオーム創薬の大きな特徴になっています。
ただ、マイクロバイオーム創薬は長い研究開発と多くの資金が必要になります。ディープテックスタートアップとして会社を成長させていくためには、利益と社会的意義を両立させることが求められるわけですが、私は「利益を追求するだけなら起業する意味はない」と感じていました。
理事長を務めていたクリニックは、年商10億を超えていましたし、別に自分の生活にそこまで困っている状況ではありませんでした。もし贅沢したいなら、役員報酬を増やせばいいだけですから。つまり、社会的意義を達成するために、それを継続的にやりきれる仕組みを作らないと起業する意味はないと考えていました。
創薬は「パイプライン型」と「プラットフォーム型」など複数の手段があります。前者は研究開発から臨床研究、上市するまでに相当のお金がかかりますが、後者は臨床試験を自分たちで行わず、製薬会社へライセンスアウトさせていくことで、1つの薬を作るのに必要な開発資⾦を抑えることができます。
我々はヒトの皮膚などから採取した菌を保存する「菌バンク」というプラットフォームを持っているため、プラットフォーム型創薬の実現に向けて、ビジネスモデルの仕組みを構築している段階です。
KINSでは物販(D2C)・ラボ・クリニックの3形態の事業を展開していますが、シナジーを生み出すために「誰が事業の真ん中に入って推進するか」というのを大事にしています。例えばドクターには医療の知識はあっても、マーケティングではわからないこともあるわけです。
そういう意味では、幸いにも私は医療のことはもちろん、経営やマーケティングなど、さまざまな経験をさせてもらったため、各領域の一流の人材と対等に会話できるのが大きなアドバンテージだと考えています。
また、KINSにはMVV(ミッション、ビジョン、バリュー)とは別に、自社のカルチャーを作る「KINS STYLE」という制度を設けています。具体的には、事業を掛け算することで新しい価値を生み出していくために、「異能をリスペクトする」カルチャーを大切にしています。
例えばD2Cのメンバーは、ラボの人がいるからこそ、研究によって導き出されたデータをD2Cのメンバーに伝えることができます。
ラボの人たちも、ずっと研究開発のことだけ考えていると、「何のために研究しているのか」というのが見えづらくなってしまいますが、マーケティングチームにラボの知見を共有していくことで、「目の前のお客様に価値を提供している」という実感をつかみやすくなります。
「N-1インタビュー」でユーザーペインの解像度を高める
マーケティングについては、SEOやMEO、リスティング広告から、インスタを含めた各種SNSなど、あらゆる手段を活用しています。こうすることでデータが集まるようになり、 競合優位性が高まるからです。
SNSに関しては、私自身もインスタやYouTubeで情報発信を行っています。元々は、インフルエンサーが商品を紹介する時に「誰の何を紹介するのか?」がわかった方がやりやすいと思ったので、私の考え方や商品の魅力をSNSで発信するようになったのが経緯です。
▼菌と美と健康の話を発信する「下川先生の菌ケア大学」
今ではインスタはフォロワー1.5万人、YouTubeチャンネル登録者数は1.2万人まで増えており、「自分自身がインフルエンサー化すること」でプラスの効果につながっていると思います。現在はBtoBに力を入れていきたいので、年内にXのフォロワーを1万人超えるように頑張っていますね。
さらに、各事業におけるユーザーのインサイトやペインを把握するために「N-1インタビュー」をすごく大事にしており、例えばD2Cブランドでは、ロイヤルカスタマーや購入をやめたお客様にヒアリングをしています。
また動物病院を開院した際には、当初「常在菌から診る新しい動物病院」という新しいコンセプトで訴求しようと考えていたのですが、全く集客できないときがあったんです。
そこで、お客様にヒアリングしてみると「その地域に歯科専門の動物病院がなくて困っている」ことがわかったのです。つまり、新しいコンセプトよりも歯科専門の動物病院の方がお客様にとっては価値があるとわかり、そこからコミュニケーションの仕方を変えた事例があります。
このように、エンドユーザーとコミュニケーションを持つのは重要で、我々は各事業で多くの接点を持っているのが強みになっています。
今後の事業展開を考えていく上でポイントになるのが、「日本ほどマイクロバイオーム市場にとって都合のいい国はない」ということです。
まず、日本には伝統的な発酵食品が多く、体に良い菌が取れる環境が整っています。また、日本は男女とも平均寿命では世界第1位で、世界随一の長寿国と言えるわけです。
私はこうした日本のポテンシャルに着目していて、伝統的な発酵食品を定期的に食べている人の菌を活かし、創薬や健康食品を開発することや、原料として輸出していくことで、グローバルにビジネスを広げていく構想を描いています。
我々の原料やブランドが強くなるほど、ライセンスアウト型でビジネスをスケールしていけるので、これからも川上から川下まで摩擦係数の低いやり方を意識しながら尽力していければと思っています。(了)
取材・ライター:古田島 大介
企画・編集:舟迫 鈴(SELECK編集部)