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人材を活かす「人的資本経営」とは?基礎知識から国内外の動向、事例までを徹底解説!
近年、国内外で注目されている「人的資本経営」。経済産業省はこれを『人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方』と定義づけています。
人的資本経営という新たな経営方針は、従来に比べると人材育成における考え方が大きく異なり、かつ人的資本経営ならではのメリットも多くあります。
しかし、方針を切り替える際に生じる課題がある、従業員に関する情報開示が不可欠であるなど、注意すべきポイントもあります。また、人的資本経営を推進するにあたり重要な視点「3P・5F」についても理解しておく必要があるでしょう。
そこで今回は、人的資本経営が注目されている背景・メリットから、方針の切り替え時に意識すべきポイントまで、網羅的に解説します。そして、実際に経営方針を取り入れた事例についても紹介しているので、今後自社の事業運営に取り入れる際の参考にしてみてください。
<目次>
- 「人的資本経営」とは?
- 今、人的資本経営が注目されている背景
- 人的資本経営に取り組むメリットと課題
- 人的資本の情報開示のガイドラインとは
- 人的資本経営の推進手段となる「3P・5Fモデル」とは
- 人的資本経営の実践事例
「人的資本経営」とは?
そもそも「人的資本経営」とはどのような内容を指すのでしょうか。まずは人的資本経営の定義や目的について詳しく説明します。また、従来の経営方針との違いについても言及します。
人的資本経営の定義と目的
人的資本とは、企業に勤める人材のもつ知識・能力・スキルなどを、事業継続や発展を担う「財産」と捉えることです。この考え方を基盤として、人材に適切な「投資(教育・アプローチ)」を行い、能力発揮・スキルアップを促す企業経営方針を「人的資本経営」と呼びます。
人的資本経営の仕組みが確立すれば、事業発展の大きな推進が期待できます。
従来の方針「人的資源経営」との違いは?
これまで主流となっていた経営方針は「人的資源経営」と呼ばれています。これは人的資源という言葉の通り、人材を「資源」と捉えて、管理を必要とし、消費していく存在として位置付ける考え方です。そのため人材教育などにかかる時間や費用は「コスト」として換算されます。
このような人的資源経営の視点では、人材そのものや能力・スキルをいかに効率的に活用するか、減少を防ぐかを重視しています。また企業の方針によって程度の差はあるものの、基本的に能力発揮やスキルアップは個人に委ねられており、企業が客観的に把握する・育成に携わるものではないとされています。
しかし、近年注目される人的資本経営では、個々の能力・スキルを企業側で把握した上で、効率のよい育成が重要です。これまでは、新たな人材を取り入れることで企業の生産性を維持していましたが、今後は今ある人材のスキルをのばして資本を増やす方向にシフトしていくでしょう。
このように、「人的資源経営」と「人的資本経営」では、人材に対する捉え方と活用方法に違いがあります。
今、人的資本経営が注目されている背景
世界的にみても人的資本経営と、それにまつわる情報開示への需要は高まっていますが、その理由はどこにあるのでしょうか。いくつかの要因がありますが、代表的なものとして以下の2点が挙げられます。
1. ESG投資の需要向上
前提として、ESGとは環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)の3要素から頭文字をとった言葉です。
近年は投資家などのステークホルダーが企業を評価する観点が変化し、従来よりも非財務資本を企業価値の源泉と捉えるようになりました。その背景には「SDGs(持続可能な開発目標)」の実現があります。
ESGにむけた取り組みはSDGsの実現にもつながることから、ESGに関する取り組みを評価して投資対象を選び、課題解決の促進をはかる「ESG投資」が着目されています。
ESGの具体例は以下の通りです。
- 環境問題:気候変動、廃棄物処理、水不足など
- 社会問題:少子高齢化、多様性、労働環境など
- ガバナンス問題:経営の透明性、法令遵守、情報開示など
なかでも社会問題には、労働環境の整備・女性の活躍推進といった人的資本に関する内容が含まれており、一層注目が集まっています。
2. 無形資産への関心の高まり
近年はIT技術が進化しており、これまで人が行ってきた仕事の一部を担うようになりました。そのため人材に求められるスキルは日々変化し、さらには人のもつ能力・経験・スキルが生み出す可能性や成長性に関心が集まるようになっています。
つまり、企業の成長力を左右するのは「モノ」ではなく「人」であり、人材投資・研究開発投資・IT投資など人材の成長や創造性への寄与が重要視されるようになったというわけです。
さらに無形資産の中でも、特に人的資本を投資判断の指標とする傾向が強まっています。投資家の主な目的は、将来的な利益獲得だけでなく投資先の成長・市場価値向上にも貢献することです。しかし、現時点での売り上げや設備といった有形資産情報だけでは、企業の成長性を推測できません。
中長期的な視点で企業価値の向上を見極める上でも、企業の推進力となっている「人的資本」の情報開示が必要なのです。
人的資本経営に関する世界の動き
人的資本経営にともなう動きは先に欧米で始まり、その取り組みがやがて日本などの各国にまで広がってきたという経緯があります。日本国内では、2020年9月に公開された「人材版伊藤レポート」を筆頭に、実践的な取り組みが多々検討されています。
以下は細かい情報となりますが、欧米・日本における人的資本経営にむけた動きをまとめました。ご興味のある方はご覧ください。
▼ヨーロッパにおける主な動き▼アメリカにおける主な動き▼日本における主な動き
参考:人的資本の情報開示に関する国内外動向、人的資本経営に関する調査について
人的資本経営に取り組むメリットと課題
では、実際に人的資本経営へシフトすると、将来的にどのようなメリットが得られるのでしょうか。取り組む際の注意点もあわせて解説します。
人的資本経営のメリット
人的資本経営のメリットは以下の内容が挙げられます。
- 働きやすい仕組みづくりができる
- 企業の成長性が見込める
- 企業価値の向上と信頼獲得につながる
人的資本経営を行うには、まず各従業員の能力・スキルなどの情報収集が欠かせません。このとき集めた内容を数値・データによって可視化できれば、個々の特性に応じた人員配置・補充等が行えます。これによりスムーズな業務体制が整うため、ストレス軽減や人件費の最適化などのメリットが得られるでしょう。
また、計画や指針に基づいた人材教育・育成に取り組むことで、従業員一人ひとりのスキルアップが期待できます。加えて、成長をサポートしてくれる会社の前向きな姿勢が従業員にも伝わり、モチベーションアップを促します。そのため、企業の売上・生産性がより向上するという利点も見込めるでしょう。
さらに、これら一連の取り組みは投資家だけでなく、ステークホルダー全体からの信頼・認知度アップも期待できます。これにより企業価値がアップし投資額が増えれば、新規事業や人材育成をより充実させることも可能です。また、入社を志望する優秀な人材が増える可能性もあるなど、さまざまな恩恵を受けられます。
人的資本経営の課題や注意点
人的資本経営の課題は、時間や費用面でのコストがかかる点です。2022年10月にjinjer株式会社が人事担当者106名にとったアンケートでは、82.1%が取り組みにおいて「業務上の課題がある・ややある」と回答しました。
多く寄せられた課題内容については以下の通りです。
- 散在している人事データ等の統合が難しい:48.3%
- 人的資本の開示をどのようにしたら良いか分からない:47.1%
- 経営陣の意識変革が難しい:44.8%
- 人的資本に投資をして回収できるか不安:37.9%
- 従業員のリスキル(資格や技術の習得)を支援する予算が十分でない:35.6%
人的資本経営に取り組む場合、人材に関する膨大なデータ量を分析・収集するため、自社運用とツール活用のどちらでも時間や費用がかかります。
また、既存の仕組みを一新する必要が出てくるため、経営やシステムを担う人員の不足・社内全体での周知や理解が得られないなどの課題もあるでしょう。さらには、かけたコスト分の利益を回収できない可能性もあります。
効果的な経営を行うには、各部門が現場の意見や課題を出し合いながら現状分析・目標設定などを行い、会社全体が一丸となって取り組む姿勢が大切です。
人的資本の情報開示のガイドラインとは
人的資本経営について解説するなかで、何度か「情報開示」というワードが登場してきました。ここからはその目的や重要性、メリットについて解説します。
人的資本経営における「情報開示」とは何か
情報開示とは、企業を適正に評価してもらうために必要な情報を、企業側がみずから発信することです。発信のターゲットは、従業員・顧客や消費者・株主や投資家・地域社会などさまざまです。
日本では大手企業4,000社に対して、2023年3月期決算分からの有価証券報告書に人材への投資額・従業員満足度などの情報記載が義務付けられました。なお開示項目については、義務化されている場合を除いて各企業の判断で決めることとなります。
では具体的に、どのような情報を開示すべきなのでしょうか。ここでは、日本国内における指針と、世界規模で取り入れられているガイドラインについてそれぞれご紹介します。両者の内容を参考にした上で、戦略的な項目選択を行いましょう。
内閣官房が公表した「人的資本可視化指針」とは
日本では、2022年8月に内閣官房が公表した「人的資本可視化指針」において開示項目が提示されています。具体的には以下の7分野19項目です。
世界的に準拠されているガイドライン「ISO30414」とは
世界的に採用されているのは、ISOが発表した「ISO30414」です。具体的な項目は以下の11領域です。
参考:人的資本可視化指針
情報開示における注意点や課題とは
企業側・投資側双方に多くのメリットがある情報開示ですが、以下のような注意すべき点もあります。
- 内容全体にストーリー性をもたせる
- 開示項目の選び方や見せ方を工夫する
- 人的資本に関するアプローチの結果を分かりやすく伝える
人材のスキルアップは、前提として企業理念などの目標があり、そこに向かうための経営戦略と結びついてこそ効果を発揮します。そのため、まずは目指すべきゴールや方針を現場・経営・人事などの枠を超えて、会社全体で決めることが大切です。
また、どのような開示内容が求められているかのニーズを客観的に分析した上で、項目を決めましょう。独自で行っている施策はもちろん、人材育成への投資が今後どのような変化をもたらすのかを短期・長期的視点で公表すれば、企業の特徴や将来像をイメージしやすくなります。
そして、株主や取引先などのステークホルダーが内容理解・定量評価しやすくなるよう、データを数値化することも大切です。事業の実施前後で変化が一目で分かるため、企業にとってもメリットがあります。
人的資本経営の推進手段となる「3P・5Fモデル」とは
人的資本経営の要となるのが、効率的な人材育成です。その計画を立てる際におすすめの考え方・視点は、2020年に公表された人材版伊藤レポート内で「3P・5Fモデル」として提唱されています。これらの内容について詳しく説明します。
人材戦略に不可欠な「3つの視点(3P)」とは
人材戦略は、各企業の強みや特色をいかした独自の施策検討が必要となります。一方で、どの戦略にも必要となる見方があり、これが「3つの視点(3P)」です。具体的には以下の通りです。
どの視点も共通して、数値やデータ化による客観的な把握・振り返りが重要となります。
戦略に組み込むべき「5つの共通要素(5F)」とは
「5つの共通要素(5F)」とは、人材戦略を行う上で具体的に取り組むべき内容を指します。その内容は以下の通りで、どれも人材育成と経営戦略をつなぐための重要なパーツとなります。
なお、経済産業省が2022年5月に公表した「人材版伊藤レポート2.0」では、これら各項目の内容についてさらに深掘りした形で、具体的な実践方法が記載されているので、ぜひ参考にしてみてください。
人的資本経営の実践事例
最後に、実際に人的資本経営で成果を上げた日本企業の取り組みに加えて、ヨーロッパで実施されている人材育成システムについて、いくつかピックアップしてご紹介します。今後の経営方針・施策について検討中の方は、ぜひ参考にしてみてください。
株式会社丸井グループの取り組み
株式会社丸井グループでは、情報開示における「ストーリー性の強化・情報収集と開示方法の検討」という2つの課題解決にむけて取り組んできました。
まずは決算担当部門・担当者と話し合いながら、どういったニュアンスで決算説明を行っていたのかを入念に確認しました。これにより、開示担当者はきちんとストーリーを理解した上で情報の選定・作成ができるようになります。
また報告書をはじめとする開示情報の作成は、以前から部門の枠を超えた協力体制を心がけてきました。さらに、有価証券報告書における開示項目の最終決定は、開示担当部門に一任するという周知がなされていました。そのため、今回の情報開示についても各部門の理解が得られやすく、スムーズな情報共有につながったのです。
双日株式会社の取り組み
双日株式会社は全世界でビジネスを展開しているため、社会課題すべてにコストをかけて対応するには、リソースが足りないという課題がありました。そこでまずは、会社の成長と課題解決の両方を同時進行できることを第一優先とし、事業内容と密接に関わっている社会課題の特定を行いました。
具体的には、「土地の開発時、採掘・原材料栽培時、製造・加工時、販売・サービス時」といった川上から川下に至るサプライチェーン全体の中で、どの位置で環境・人権リスクが発生しやすいかを分析しています。この際には、一般的な人権課題と自社サプライチェーンの全体像を掛け合わせた独自の表から予測したといいます。
さらにはイギリスの非政府組織が公表した国・業界別データも細かく分析することで、客観的、かつ根拠のある推測を実現しています。
イギリスの事例
イギリスでは2017年から、就業中の労働者が社外の能力開発プログラムに参加できるシステム「アプレンティスシップ・スタンダード」が開始されました。
イギリスでは新卒一括採用の文化がないことから、若年層のスキル形成が大きな課題でした。そこで再教育の場を設けるべく、雇用主のグループが主導となり、能力開発プログラムを考案できる仕組みがスタートしたのです。
雇用主は、プログラムの達成目標や評価方法をはじめ、カリキュラム作成にも参加できます。そして、プログラムの最終的な許可は教育省が行います。これらの取り組みによって、人材ニーズに合う能力開発が実現するとともに、職業訓練全体のレベルアップにもつながりました。
ドイツの事例
ドイツでは、高度化していく人材ニーズに応えるために、知識・スキルの習得機会を提供できる「バーデン・ヴュルテンベルク州デュアル大学(DHBW)」を設立しました。
同大学は訓練生への手当支給・短期間での学位取得支援など、現場で活躍できる人材育成に特化しています。またDHBWの趣旨に賛同する企業を「パートナー」として、講師育成や派遣・実践訓練機会の提供など積極的な連携を行いました。
その結果、ニーズに合った優秀な人材を輩出でき、地域企業の成長性に貢献できました。そこからDHBWの認知・信頼向上により、パートナー企業が充実し、訓練内容もアップグレードしたのです。人材のスキルアップが進み、さらには州外からも志望者が集まるようになり、未来へとつながる好循環が生まれました。
参考:有価証券報告書におけるサステナビリティ情報に関する開示、DX・GX時代に求められる「地域版人的資本経営」
おわりに
今回は、人的資本経営が注目されている背景・メリットから、意識すべきポイント、実践事例までをお伝えしてきましたがいかがでしたでしょうか。
特に自社の運営方針を見直したいと考えている経営・人事・労務関係の方に、ご参考いただけますと幸いです。